1952年8月17日ブラジル生まれ。1981年・1983年・1987年と3度のドライバーズタイトルを獲得している。14歳からカートを始め、父親に隠れてレース活動を行うため、初期はピケットと誤った綴りで活動していた。ブラジルカート選手権などで活躍し、当時ブラジル人唯一のF1ワールドチャンピオンであったエマーソン・フィッティパルディの助力でヨーロッパF3に参戦し、ランキング3位に入る活躍を見せる。1978年にエンサインからF1デビュー。翌年ニキラウダのセカンドドライバーとしてブラバムに移籍。シーズン途中でラウダが引退した事でエースとなって活躍した。1980年に初優勝をあげるとその年は3勝を上げ2位。翌年初のチャンピオンに輝く。1982年はマシンの完成度が低く、不調に終わるも83戦には2度目のチャンピオン。1985、86年はマクラーレンポルシェの活躍などもあり低迷し
1986年にウィリアムズに移籍。ナイジェルマンセルとの確執があり、ピケが4勝、マンセルが5勝をあげ、コンストラクターズタイトルは獲得したものの、ドライバーズタイトルはアランプロストに奪われる。1987年は確実にポイントを積み重ねて3度目のチャンピオン。1988年ロータスに移籍するが、ロータスでは1勝もあげることが出来ず、1990年にベネトンへ移籍。ギャラを完全に出来高制という異例の契約で、シーズン2勝をあげた。翌年第5戦で優勝するものの、シーズン途中でチーム名とのモレノが解雇されるなどチームへの不信感がつのり、シートを喪失しF1からは引退した。