« ルイス・ハミルトン | メイン | 佐藤琢磨 »

ルーベンス・バリチェロ

1972年5月23日ブラジル出身。
2007年終了時点で253戦に出場しているベテランドライバー。この記録は史上2位の出場記録。F1で早い時期から実力を見せていたものの初優勝は125戦目と史上最も遅い記録である。1981年からカートをはじめブラジル国内で数々のタイトルを取り、1989年からはフォーミュラにステップアップ。1993年に20歳でジョーダンからF1デビュー。初年は日本GP5位での2ポイントに留まったが、実力を見せる。翌年第2戦で初の表彰台に上るが、悪魔のグランプリと呼ばれたサンマリノGPでクラッシュ。鼻骨を骨折する大怪我を負う。その年は年間6位で終えるものの、チーム力は次第に定価していった。1995年、1996年も変わらない成績を残すもののチームオーナーと折り合いが悪くなり、スチュワートグランプリに移籍。安定した走りを見せるものの、スポットライトが当たる事は少なかった。2000年はシューマッハのチームメイトとしてフェラーリに移籍。この年第11戦に120戦を超えて初優勝をした。続く2001年はドライバーズポイントで3位、2002年は4勝をあげて2位に入るなど、表彰台の常連となった。しかしいずれの年もシューマッハのサポート役に徹し、シューマッハを抜く事はせず、2002年第6戦ではトップで走っていたもののチェッカーフラッグ直前に、2位のシューマッハに1位を譲っている。このことでファンからはブーイングを受け、禁止されている表彰台では中央の座をバリチェロに譲ったことで、フェラーリ、シューマッハ、バリチェロは合わせて100万ドルの罰金を受けている。その後、同年はチームオーダーは無かったもののアメリカGPではシューマッハからバリチェロが1位を譲られるなどの動きがあり、2003年はチームオーダーは禁止される事態となった。その後も忠実なセカンドドライバーであったが2005年モナコGPにてシューマッハから強引な追い抜きを仕掛けられるとこれからは対等に勝負すると明言し、BARホンダに移籍した。フェラーリ時代にシューマッハと1-2フィニッシュした回数は24回で、F1史上最多の組み合わせ。
2006年はマシンになれるのに時間がかかり、チームメイトのジェンソンバトンに差をつけられたが、中盤以降は調子を上げ、年間30ポイントを獲得した。2007年はマシンの状態が最悪、またピット戦略の稚拙さに泣かされノーポイントで終わってしまった。2008年はホンダに残留する事が決まり、F1最多出場の記録を塗り替えるのは確実と思われる。