1918年7月13日-1955年5月26日イタリア生まれ。
フェラーリドライバーとして初のワールドチャンピオンで、1952年と1953年の2回ワールドチャンピオンになっている。父もレーサーだが、1925年に事故死している。1929年に11歳のときに、二輪の草レースで優勝ししばらく二輪に没頭していたが、1940年にエンツォフェラーリに請われミッレミリアに出場する。戦争による中断の後、1949年に再びフェラーリ入りし2勝をあげる。1950年にF1選手権が始まると、第2戦から参戦しシーズンを5位で終え、翌年も2勝あげ2位で終える。1952年は圧倒的な強さを見せ、7戦中6勝。5度のポールトゥーウィンを達成した。続く1953年も圧勝し、連覇。1954年はフェラーリを離れ、ランチアと契約するもののマシンの出来が悪く、チームのマシンに乗ったの最終戦のみ。結局完走もなしで1年も棒に振った形で終える。翌年1955年モナコGPでクラッシュ、海に投げ出されるが、奇跡的に生還したものの、モンツァサーキットで事故からの回復具合を確かめようとマシンに乗ったところ2週目に突如急ブレーキを踏みコースアウト。マシンから投げ出されたアスカリは病院への搬送途中に死去してしまった。