1947年8月29日-1993年6月15日イギリス出身。
F3時代は壊し屋といわれるほど荒い運転をしていた。F1にデビューしてからはそのあだ名がウソのような走りを見せ、1975年に初優勝。これは当時所属していたヘスケスチーム唯一の勝利である。1976年にマクラーレンに移籍すると、ニキラウダが炎上事故で欠場している間にポイントを詰め、最終戦で逆転しワールドチャンピオンとなった。翌年も3勝をあげたが、ニキラウダにタイトルを奪還される。1978年はマシンの開発が遅れて低迷し、1998年はウルフに移籍したが能力の低いマシンに失望し、シーズン途中で引退表明した。1976年にカナダでゲストとして参加したレースで、地元選手として出場したジャックヴィルヌーヴに打ち負かされた事があり、そのときマクラーレンにジャックの獲得を進言した。1993年に自宅で心臓発作のため死去。